実話 夫婦で飛んだ特攻兵
たまたま見た映画でしけれど戦時中満州の飛行学校で終戦ののちソ連軍に特攻を仕掛けた「妻と飛んだ特攻兵」を見ました内地の特に知覧、鹿屋からの特攻は家族には一切知らさずに飛び立っていったそうです。どちらが幸せなのか?現代人の私には理解できない話です。何故なら「当事者ではないからです」私個人の考え方ですけれど、そんな状況下で育っていたなら「妻と飛びたいです」皆さん当時の自分の身になって奥さんがいればどう思うか考えてみてください。日本がいくら満州国といっても実情は多くの土地は中国人の土地を取り上げ日本人が入植して作物を作っていただけです。さて何人の日本人が満州に入植したか?何人の方が日ソ不可侵条約を破棄してから犠牲になったのかが大切ですいろんな文献を調べましたがまちまちなんで平均値を出しました。「約政府の割当てで全国から14次にわたり約27万人が入植しました。そのうち日ソ不可侵条約を破棄後8万人の方が犠牲になられました戦後も含めてですよ。それを考えたら愛する妻と最後まで一緒って変ない方ですけれど幸せだと思う時がありますここで原作者のコメントがありますので参考文献といたします 昭和20年8月15日の終戦日から間もなく70年。だが15日に戦争は終わってはいなかった。19日、満州で11機の日本軍機がソ連の戦車隊へ特攻した。その中に妻を乗せたパイロットがいた…。ノンフィクション「妻と飛んだ特攻兵」がドラマ化され、16日午後9時からテレビ朝日系で放送される。「この史実はあまりにも知られていない。世に伝えるラストチャンスかもしれない。そう覚悟して書きました」。証言者を訪ね歩き封印された戦史を掘り起こした原作者のノンフィクション作家、豊田正義さんは言う。執念の執筆から2年後、ドラマ化が実現した。この壮絶な実話を現代人はどう受けとめるだろうか。山内節夫少尉、房子ご夫婦です。戦時中とはいえこれだけの愛情を注がれた両ご夫妻に「愛情とゆう奥深さ」を感じました。