kishimotomann’s diary

人生の甘露の一滴になっていただければ

作家吉川英治の過去

 本日はちょっと興味深いお話をさせていただきます吉川英治1892明治25811 - 1962昭和3797日本小説家本名吉川 英次よしかかひでつぐ現在の神奈川県横浜市中区出身文化功労者文化勲章受章者位階勲等従三位勲一等な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖などで人気作家となる1935昭和10より連載が始まった宮本武蔵は多くの読者を獲得し大衆小説の代表的な作品となった戦後新・平家物語』、『私本太平記などの大作を執筆幅広い読者層に親しまれ国民文学作家と呼ばれた宝塚市千種の地名の名付け親作家としての彼はほとんどご存じですが本当は蒔絵師かみえし)」になるのが夢だったそうです蒔絵職人漆器金・銀の粉で絵や文様を描く蒔絵の 蒔絵とは接着力が非常に強い漆の性質を活用し漆で描いた絵や文様の上から金・銀の粉をまいて付着させる装飾技法のこと漆器家具仏壇万年筆などの装飾に用いられている現在での吉川英治とは皆さんかけ離れているでしょう22歳で独立しましたが仕事が不況になりその日暮らしとなったのですその後仕事を転としていました当然生きるためですその時に書いた俳句がありますつゆのたま どうころんでも つゆのたまなかなか含蓄のある俳句です皆さんはこの俳句をどうとらえますか?」国語ですので答えはないと信じていますみんなの想いが違うからみんなの解釈があると思います私はこう思いましたわれの心の情熱は一杯あるけれど今自分がどうにもできない自分は所詮われの心の情熱は一杯あるけれど今自分がどうにもできない自分の情熱は誰にも届くことはないだろうと思いました皆さんもそれぞれ観念がありますよねこれがのちの作家吉川英治の基となるかなって思いました食べるために何回も転職したとゆうところは私と同じです私はその会社のノウハウがわかれば必要ありません将来独立を考えてましたが病にかかってしまいました