法華経から
法華経の14番のお経に「受諸苦悩(じゅしょくのう)」とゆう言葉があります。法華経観から言いますと「正しく生きてないと様々な苦しみを受ける」と解釈されます。仏教の世界では「百人の僧がいれば百の解釈がある」とよく言われます。14番のお経に「受諸苦悩」の中での言葉ですが今回はそこから飛び出して現代的になお純粋に「受諸苦悩」だけを考えますと2つの考えが浮かべました。まず答えを言ってから解釈をしたいと思います①「自らの行為で良くないことをしないで悪いことばかりしてるとその結果受ける苦悩②自ら進んで受ける苦悩に分けてみました。①の解釈はちょっと仏教の言葉をお借りします「善因善果 悪因悪果」の法則によって受ける苦悩です。私はこの言葉に対して絶対的信頼を持ってます「何でそんなこと言えるの?」と思われる方もいられると思いますが、悪いことをしていた時は結果的には「悪因」となって必ず自分に返ってきましたしかし仏教を学びだし精神疾患になりましたが病気以外のわたしの描いていた夢は全て叶ってます。それは「自分の寸心(いろんな行いをただしいい方向に行けるように心を持つ)を入れ替えたからです」それが「感応道交(かんおうどうきょう)」して人生が変わったからですこれが①の解釈です①よりも②の解釈の方が誰でも人生の中で経験する「プラス方向の苦悩」とも言えると思います。物凄くリアルに描きます。例えば「恋」です誰もが男女関係なく経験しますよね?「告白すべきか?やめるべきか?」私の初告白は小学校6年の卒業式に撃沈しました。中学時代3年間想っていた女性に撃沈しました。そして高校の入学式の時に同じクラスだった女性に毎年告白しましたが撃沈しました。しかし社会人になってほとんど「モテキ」でしたけれど。又国家資格を取るために実習や試験勉強に苦悩しますよね。しかしこれは「自ら受けるべき苦悩」ですから「プラス方向の苦悩」ですよね例え出したら皆さん個人個人②の苦悩を経験しますよね